12月4日午前4時くらい
他人の意見や考えに対して何か言うことは簡単だ。
一番簡単なのは否定することで、これはもう簡単すぎて反吐が出る。
とりあえず否定することなら誰にだってできる。
だからこそ多用される。何も考えずに意見した気になれるからだ。
この記事だって否定を否定しているだけで、何の意味もない糞だ。
こうして否定に否定を重ねる不毛な空間が形成されていく。
何の進歩もない。ヘイトをかき集めて腐らせた糞以下の何かだ。
インターネットではそんな肥溜めをいたる所で見かける。
ネット肥溜めそのものに意味は無い。
でもネット肥溜めが"ある"と言うことには何かしら意味があるのかもしれない。
誰も必要としなければ、そもそもネット肥溜めが出来ることはないはずだ。
ネット肥溜めは言わば、何の準備もせずに思い切り糞を投げ込める空間であって、これはこれで貴重な場所とも言える。
少なくとも、思い切り糞を投げつけるのが最高に気持ちいい行為であることは間違いない。
真に反吐が出るのは、ただの糞の投げつけ合いを何か"良いこと"や"正義の執行"と勘違いしている輩を見つけた時だ。
正しい行いだと信じて糞を投げつけているのだから、そこにはもはや何の救いもない。
せめてもっと自覚をもって糞を投げつけてくれ。